割とガッツリパーソナル。
自分は生まれも育ちも東京の渋谷区で現在も絶賛在住中です。
自分の母親も渋谷区の同じ街で父親も渋谷区の同じ街なんでオナショーオナチューの先輩でもあり、ついでに母方のルーツは神田で父方のルーツは渋谷なので分かっているだけで江戸と明治から続く生粋の東京人。
なので特別な事でも起きない限り他へ移住する理由がない。
とは言え渋谷区と言っても新宿区と中野区と世田谷区に近隣したエリアなのでいずれもチャリンコで5分~10分走れば隣の区に着いちゃうほどの区境につき「ザ渋谷」ではないんですけど。
ちなみに皆さんご存知の渋谷をはじめ原宿や恵比寿も同じ渋谷区ですが逆側エリアが地元です。
だから自分が小さい頃はデパートとか映画館とか所謂「おでかけ」する際には新宿が最も近く、バスで10分ほど乗ると新宿駅へ着いてしまうので何をするにも「おでかけ」はとにかく新宿を利用。
今でも割とそうです。
で、その頃は良く新宿西口の小田急デパート地上口付近に傷痍軍人が居まして。
要するに戦争の帰還兵として軍服みたいな白い服を着てアコーディオンとかガットギターなんかを弾いて小銭を稼いで?いました。
当時母親に「あの人なに?」的な質問をした際には「戦争で大怪我した可哀想な人」としか聞かされていなくて、更に新宿の地下街に入っても別の場所で別の傷痍軍人を見かけたりして、当時は新宿駅付近だけで10人以上もの傷痍軍人を見た記憶があります。
子供心に「あ、こっちはハーモニカを吹いてんだ」なんて思っていました。
そしてこんなに「戦争で大怪我した可哀想な人」が居るんだと。
恐らく今から47年~48年前の話なんですけどね。
自分の祖母は当然ながら戦争をガチで経験していて母親は祖母のお腹に居たと、その証拠に自分には母方にも父方にも祖父が居ませんでした。
共に戦争で死んでしまっていたので。
なので良く死んだ爺さんの話を聞かされた記憶があります。
ま、大体が「ハンサムだったんだよ~」みたいな返事に困る話でしたけど。
そして、同じく新宿にはビックリするくらいのホームレスも居て、その中にも酒を飲みながら軍歌を歌っている人達も良く見かけましたし、とにかく周りにはリアルな傷痍軍人や帰還兵が多かったんです。
まぁ今の新宿都庁が建った際にホームレスを一掃した事で当時と比べてホームレスの数は1/1000くらいに減った印象もありますが、その代わりに分散した事もあって今も自宅近くの公園や緑道にはホームレスが何人か住んでいたりします。
で、戦争って?と言う話なんですよ。
もう今や戦争経験者が居ないに等しい時代で、自分の婆さんも既に20年以上前に他界していますし。
けれどこれからどーなの?となると基本的に「攻めないけど来たらやる」的なスタンスのニッポン。
決して今後も安泰と言う訳ではありません。
トランプさんは安保も蒸し返して「お前等はアメリカを守ってくんねぇじゃん」と言い出す始末で、なら日本国内に多数在る米軍基地はなんなんだよって事にもなり、しかも国内にある米軍基地の光熱費は全て日本持ちらしいですね。
維持費ゼロじゃんて。
恐らく基地関係の電気代とか水道代なんてハンパない額でしょうし。
そしてロシアvsウクライナやらハマスvsイスラエルをはじめシリアやミャンマーなどでも。
そんな状況においても人間て常に先の事を第一に考えながら生きている訳で、まぁ生きている以上は未来へ向かっているのは当然なんですが、BOREDとしても本来今年は予定していなかった事案に向かって現在進行形な訳です。
連日アナウンスしてます超々低粘度グリスことペーストね。
やはり製品のラインナップとは需要と個性と差別化に尽きる。
そんな試作を行うには絶好のタイミングが在庫補充生産を行う今月と言う事であって、毎年のルーティンとして年末付近は死ぬほど多忙となるBOREDなんですけど、まさか今年はこの3月のスケジュールが大幅に不足しているほど多忙となる事態に。
そして毎週末が近くなると「サンプルテスト行かなきゃ」と戦争云々はどこ行った?とリアルな使命感に襲われる訳ですよ。
しかも「あのライン試してみようかな」とか「あのルアーの色違い欲しいな」などの物欲も相乗したりして。
常に未来の身近なリアルを気にかけて生きている。
そしてネットでは大小関わらずイザコザやらフェイクは絶えず、それを傍観している場合もあれば鵜呑みにしそうになる場合もあったりして、気にするべき事が多過ぎて見なきゃ良いのについ見ちゃうとか。
もうダメね、人間て忙しい。
そんな明日は自分の誕生日、オウムがサリンを撒いた日です。
そして休日出勤、注文ください。
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